Shins Blog 304

写真のこととか本のこととか

きのこの季節

tiny fungi

Nikon D800E Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50


夏が終わってきのこの季節がやってきた。
期待して山へ行ってみたけどどのキノコもまだ赤ちゃんだった。
這いつくばって撮ったこの子達、名前は何?
ヒラタケの一種?
わからない。

以前キノコをマスターしようと思って大小3冊も図鑑を買ったけど呆れて投げ出してしまった。
花なら花弁の色や数、木なら葉の形であみだをひくように答えにたどり着けるのに、キノコの場合はそういうわかりやすい分類が見当たらないのだ。

いや、もちろん分類法そのものは存在する。
しかし花や木で用いられるようなあみだ式のダイアグラムはキノコにおいては存在しないのだ。
それはなぜかというと、どうもキノコという生き物は他の生物と比べて個体差が大きいことが原因のようだ。
同じキノコでも成長の時期で色や形が変わったり、木のどこに生えるかで傘の形や柄の付く位置が変わったり、極端な場合雨が降るだけで色や形が変わったりするらしい。

う~ん、それじゃまったくお手上げじゃないか。
そうなんです。お手上げなんです。
でも、じゃあキノコ採り名人はどうやって食べられるキノコと毒キノコを見分けているんだろう?

これは僕の想像だけどキノコ採り名人は人種を見分けるのと同じ脳の領域を使っているんじゃないか。
同じアジア人でも東南アジア系とモンゴロイドは違うし、同じ欧米人でも国によって違う。
考えてみれば人間というのも個体差の大きい生き物だ。
同じ人でも成長の時期で色や形が変わったり、怒ると色や形が変わったり、極端な場合は同じひとでもどこに生えるかで着る服やあごひげの付く位置が変わる。

欧米人から見て同じに見えるアジア人を僕たちがどうやって見分けているのかと聞かれたらなんと答えるだろう。細かな違いを指摘できても、それは個体差の範囲じゃないかと言われたら?

それは結局僕たちが人生の長い時間をかけて出会ってきた同じ日本人の、たくさんのバリエーションのコアのようなもの、原日本人とでもいうべきものを中心に富士山の裾野のように広がるたくさんの日本人のイメージの総体を僕らが僕らの脳のなかに持っているから、それをもとに類縁のアジア人たちを鑑別しているのだろう。

キノコ採り名人も長い年月をかけて色んなバリエーションを見聞きし、自分の脳の中にたくさんのバリエーションの像を重ねていって、そうやってAというキノコのイデアを構築しているので、A0というキノコを見れば、ああ、これは典型的なAだなと判断できるし、A1を見たら、ああ、これは雨の日のAだなとか、A2を見たら、ああ、これはブナの木の幹の根元に生えたAだなとか、A3を見たら、ああ、これはAの赤ちゃんだなとかわかるのだろう。

じゃあそんなにたくさんキノコと出会う機会のない一般人にとってキノコを分類することは永遠に不可能なのか?そうなのか?いやでも多分これってAIの得意な領域ですよね。そのうちiPhoneに"AI誰でもキノコ採り名人"というアプリが登場すると思うのでそれまで待ちましょう。

 

 

 世界40カ国の平均的な女性の顔

 

 

 

tiny yellow

tiny yellow

Nikon D800E Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50



9月になったしそろそろキノコが顔を出しているかもしれないと思って昨日久しぶりにファットバイクで山へ。
期待していたキノコはまだ少ししか生えていなかったけれど、名も知らぬ小さな黄色い花が咲き乱れていた。
ボディバッグからD800Eを取り出してマクロプラナーの50ミリを装着。
適当に撮ったつもりだけどモニターに写った映像に心を奪われた。
マクロプラナーはとても玄妙なボケかたをする。
キノコはそっちのけで夢中で何枚も撮った。

 

セスナのマニュアル

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Claus NorgaardによるPixabayからの画像




 地上三千メートルの上空でセスナのパイロットが突然意識を失って操縦桿の上に倒れ込んだ。
隣に乗っていた男は驚いてパイロットを必死に、そして何度も揺さぶったが何の反応もない。
男は青ざめ天を仰いだ。彼にはもちろん飛行機の操縦に関する知識は微塵もない。

 

男はコックピットを眺める。
無数の計器板、わけのわからないスイッチやランプ。そしていくつかのレバー。
操縦桿を除けば、意味のわかる装置は何一つ存在しない。
冷たい汗が額から眉間を伝わって鼻先からポタリと落ちる。
絶望的な事態とは裏腹に、その瞬間もセスナは時速120ノットで北北西に向かって滑るように巡航し、機内には燦々と日光が降り注ぎ、穏やかなエンジンの音と微かな機体の振動がなければ空中を高速で移動しているとは思えないほど平穏だった。

 

男は目を閉じて数回大きく深呼吸し、それからゆっくり目を開けた。
視界の傍らのラッチが目に入った。開けてみると分厚いスパイラルのリングノートがあった。
それはセスナの操縦マニュアルであった。
男は努めて冷静に、第一ページから順を追ってマニュアルを読み始めた。
表紙を開けると男前のパイロットがにっこりほほえんでいる。
『ようこそ、セスナへ!』
男は苦笑して次のページへ進む。
着座方法。
エンジン始動前の点検事項。
各メーターの位置と意味。
各レバーとスイッチの操作方法。
エンジンの始動方法。

・・・・

男はまずfuel meterを見て燃料が十分あることを確認した。

 

やがて最寄りの管制塔に驚くべき通信が届く。
ごく短い内容であったが、素人が操縦するセスナ機が当該飛行場に着陸するという連絡だ。飛行場は緊急閉鎖され、慌ただしく何台もの消防車や救急車が到着し滑走路脇に待機した。どこから聞きつけたのか新聞記者や野次馬も集まってきた。

 

やがて天井が抜けたような青空から一葉のセスナがゆっくりと近づいてくるのが双眼鏡で見えた。
少しフラフラしているが、ゆっくりと、確実に、飛行場に向かってくる。
機は左斜め上方から緩やかに滑走路の上空数メートルを滑空し、小さなスキール音をたてて接地し、百メートルほど滑走したあと静かに停止した。

 

割れるような歓声。駆け寄るスタッフ、消防隊、マスコミ、群衆。
大勢が見守る中、セスナのドアがゆっくりと開き中から男が姿を現した。
男は手にしたマニュアルの最後のページの「そして注意深くタラップを降りる」という箇所を読みながらまばゆい光の中を地上に降り立った。

 

ことほど左様にアメリカのマニュアルは枝葉を尽くして間然するところがない。
この発想のエッセンスを一度理解してしまうと、旧来の日本のマニュアルの不備が手に取るようにわかる。それはあまりに不親切で解釈に幅がありすぎて具体性に欠けており、従ってそれを手にしたものは文字通り途方に暮れるのだ。

 

私はいくつかの施設で様々なマニュアルを作ってきたけれども、それらはいずれもセスナのマニュアル(それはおそらく都市伝説の一つだと思うが)に代表されるような欧米系のマニュアルを念頭に作成した。このやり方は一度作ってしまえばあとは忘れることが出来るという利点がある。
多少なりともマニュアル製作に携わったものなら知っていると思うが、マニュアル制作者は往々にして各部署からの問い合わせに忙殺されるものだ。しかしこのようなセスナ式マニュアルをひとつ作っておけばあとはみんなが勝手にタラップを降りてくれる。

 

ただし教育ということに関して言えば、私はマニュアルというものを信用しない。
なぜ私が教育に関してマニュアルを信用しないのか。

 

印度の古い諺に
When the student is ready, the teacher appears.
「弟子の準備が出来た時に師が現れる」という言葉がある。
本当に大切な知恵は、受け手の能動性を介してしか伝わらないからである。

 

 

5日前の出来事ですがオーストラリア南西部パースの飛行場でセスナの訓練飛行中に教官が気絶。同乗していた生徒は初めての訓練飛行ながら管制塔と交信しながら自力で着陸したそうです(詳しくはこちら)。

以前僕がブログに書いた内容に酷似していたので驚きました。別にこの訓練生がマニュアルを見ながら操縦したわけではないと思いますが懐かしいので以前の僕の文章を改訂して再掲した次第です。
念の為付け加えておきますがこの文章と上記のニュースとは何の関係もありません。
また僕はセスナはおろか飛行機全般についての知識は皆無であり上記の文章はすべて僕の想像の産物であることをご理解ください。